アイマス15周年記念 – 過去から未来へ、「アニマス」から受け継げられた思いと意志
15年の時を経て、『アイドルマスター』は様々な業界にその名を轟かせてきた。その記念として、2011年にアニメ化された『アニマス』が大ヒットになるまでの道のりだけではなく、それを可能にした情熱と、それがシリーズの未来とどう繋がるのかを振り返ってみたいと思います。
15年前のこの日、全国のゲームセンターにナムコの最新作の稼働が始まりました。当時はニッチでありながら熱狂的なファン層に衝撃を与え、2000年代の日本のネット文化の中心的な存在となり、やがて現在のバンダイナムコを今でも支えている巨大な財産へと変貌を遂げた。しかし、『アイドルマスター』の成功はそう簡単には片付けられるわけにはいかない。その歴史には曲折的な展開が多くて、2011年のアニメ化までの道のりも例外ではない。
『アイマス』を人生の半分近くを追い続けてきた人として、『アニマス』が誕生する前の出来事は今でもしっかりと記憶に残っています。特に2007年、アイマスが初めてアニメ化された時。運命の奇妙なねじれでそれはプロデューサーの皆さんが思い描いていたアニメではなく、サンライズの『アイドルマスターXENOGLOSSIA』でした。言うまでもないと思いますが、「当時」のファンからは批判の嵐が巻き起こされた(ちょうどその頃にアニメを毎週追うようになって、何を見ていても感激することが出来たピチピチな14歳の自分を除いて)。とはいえ、それはあくまでも「当時」の話です。今では懐かしく振り返る人が多く、昨年の『バンダイナムコエンターテインメントフェスティバル』のようなイベントでは『XENOGLOSSIA』の存在が歓迎されていました。
当時の反響をさておき、XENOGLOSSIAは良くも悪くもアイマスファンでなくても記憶に残るような作品でした。それに対して、同名のゲームに同梱されていた『アイドルマスター ライブフォーユー』のOVAの存在を忘れている、もしくは全く知らない人たちも大勢にいます。面白くないからそういう事になったというわけではないですが、明確に表現したい事があるからというよりは、仕方がなく作られていたような印象がするというのがおそろくの原因だと思います。それを踏まえて、3年後の『アニマス』の発表によって当然喜んでいたプロデューサーは沢山いましたが、その理由は今から考えてみると想像以上に単純なものでした。そのクールで見るつもりのアニメを友達と話していた時の自分曰く、「アイマスだから見る」という結論が出た。その時点までの経験と常識から考えてみると、期待値はそこまで高くはなかった。アイマスだったらそれで良い、と思っていたのは自分だけではないはず。しかし、その裏で誰もが想像していたよりの神アニメの完成が密かに進めらていた。
監督を努めた錦織敦史はガイナックスで『天元突破グレンラガン』や『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』のキャラクターデザインを担当していたこともあり、アニマスが発表される前からすでに名を馳せていました。この時期の仕事がアニマスの展開に直結していると言えば大げさには聞こえるかもしれませんが、同じガイナックス所属の大塚雅彦が彼をアイマスの匿名関係者に紹介していなければ、アニマスの企画はこのような形で実現されなかったかもしれない。
錦織氏がアイマスの熱烈なファンであることを知っていた大塚氏は、そのスタッフの人と大学の同期であることを明かし、そこで錦織氏が積極的に「色々語りたいから会わせて」と言って、それが見事に叶いました。会った時の話の内容は必然的に新たなアニメ化の話に発展したが、錦織氏は自分の欲を抑えて、短編やMVなどの小規模な企画を提案していたが、相手がそれに対して「どうせならTVでやりましょう」というとんでもない発言で返してきた。2nd VISIONの登場でシリーズが新たな転換期を迎えたこともあり、両者にとっては絶好の機会となった。
アニメ化が決定された所で、次のステップは錦織氏と一緒にそれを作り上げるスタッフを集めることでした。運命なのか偶然なのか、これはガイナックス所属のスタッフが大勢に退社された時期と重なっていた。錦織氏は元々大人の事情でスタジオを離れないといけなかったでしたが、前述の大塚氏と今石洋之によって『TRIGGER』の設立は後に「チームアイマス」として知られるようになる人たちにとって、当時の想像をはるかに超えるほどの重要な展開でした。
ガイナックスの運命はこの時点では既に決められていたと言っても過言ではない。大塚氏と今石氏に続いて吉成耀、すしおや多くの若い人たちが彼らの後を追ってTRIGGERの礎となり、一方では庵野秀明が設立した『Khara』に移ることを選択した人たちもいました。更に、そのどちらも選択せず、錦織氏と一緒に『A-1』に移した人たちもいました。その中には河野恵美や山口智といった現役の実力派アニメーターや、アニメーターから始まって今では監督として努めている益山亮司なども含まれていました。元の会社で既に注目を浴びていたが、これから出る作品と名前を直接結びつける事で業界内やファンの間で株が更に上がりました。
とはいえ、ガイナックスの衰退が全ての鍵を握っていたというわけではない。当時のA-1には既に業界の才能溢れる人たちも集結されていました。元『京アニ』の高雄統子や松尾祐輔、同僚たちより一足先にガイナックスから離れて、A-1の『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』のキャラクターデザインを担当された赤井俊文、さらにキャラクターの表現とダイナミックな作画でエースの一人になる程の実力者の林勇雄。その上、黒木美幸や田中裕介のような、後にシリーズの重要な役割を担うことになるであろうA-1のホームグロウンな人たちも沢山いました。もっと多くの名前を挙げたいところですが、そもそも作画や業界に詳しくない人たちにとっては既に追いつけないレベルにまで至っているような気もしてきました。とりあえず重要なのは、この人たちが全て揃った所で、「チームアイマス」が正式に結成されたということです。もしもこれらの要素がこのように完璧に配置されていなかったら、私達の知っているアニマスは誕生する事はなかったかもしれない。
これだけの人材が揃っていても、そもそもアニマスのアニメ化にどう取り組むのか、という重要な疑問が残っていました。『ディアリースターズ』を除けば、アイマスには元々「プロデューサー」という、プレイヤーの代役が存在する。ファンはその役割がアニメではどういう風に組み込まれるのかを知りたがっていたが、PVでその点が華麗に避けられていた為、放送開始まで待つしかなかった。そして放送日、待ちに待ったファンはスタッフの企みに見事に引っかかった。
765プロのアイドルと視聴者の両方を騙すために、第1話はキャストたちの日常を追っている無名のカメラマンの視点で構成されており、そのおかげで彼女たちの性格やクセがまだ明かされていないプロデューサーと視聴者、特にファンではない人、にとって分かりやすく描かれていました。そして本編が終わるちょうど前に、まだ明かされていなかったプロデューサーの「あなたにとって『アイドル』とは?」というシンプルな問いに、彼女たちは事前にシリーズを追っていた人にしか辿り着けないような答えで返してくれる。これで錦織氏がどれほどアイマスを大切にしていたのが明白になり、1話の間に3つの重要な目標が一気に達成されました。1つ目はプロデューサーの立場と今後のストーリー性をしっかりと定めて、2つ目はファンやそうでない人にもアニマスをこれからも見続ける理由を与えてくれた事。
3つ目の目標は比較的に単純な物でした。制作の面でこの先どうなるのか、いわゆる味見になってくれた。元々個性豊かで魅力的なキャストに錦織氏のアニメーションを意識したキャラデザを足した所で無限の可能性が広げられて、そして制作陣はそれを最大限に生かすつもりでした。アニメでキャラクターが動くのは当然ですが、765プロの娘たちからころほどまでの表現力を感じたことは今までになかった。しかも、これが1話限りの挑戦ではなくて、アニマスにとっての標準という意思表示でした。というか、そのうちの一つですね。アイマスにとって無くてはならない物の一つと言えば、必ずライブという答えが出て来ますし、制作陣がアニマスでもそれが必要不可欠彼だという事を理解していた。当時でもテレビアニメでライブシーンが出てくる場面は少なくはなかったんですが、圧倒的な作画量と技術が必要な為、ほとんどの場合は3DCGに頼るか、シンプルな動きで済ますのがセオリーでした(もちろん異例も存在していましたが)。それに対してチームアイマスはまるで「普通のアニメ化と思うなよ」を宣言する為に、1話の最後に『The world is all one!!!』の練習風景をそっと置いてくれた。ファンの期待値はそれぞれでしたが、高くても低くてもこの時点では既にそれらを全部越えていた。
元々人脈が大事なアニメ業界では、チームアイマスの誕生みたいな大きなイベントが業界の隅々まで響かないはずがなかった。簡単に説明すると、一つのプロジェクトにある程度の人材が集まると、その人たちは磁石のように、更に他の人材を呼び寄せてくる。アニマスでもその現象はしっかりと生じましたが、乗っかってきたクリエイターの中に当時出世し始めたばかりの現代のスターから正真正銘の業界のレジェンドまで、今でも信じられないほどの集まりとなった。前者の好例と言えば、『スタードライバー』で大活躍を経た鹿間貴裕にはかなりの出番があって、後半で重要かつ感動的な場面も任されていた。今では色々な意味で伝説と化している濱口明も特別編に、業界に入ったばかりの頃の中山竜も面白い事に一回だけ第2原画で参加された。
「ゲスト回」には魅力的な響きがあるのは確かですが、作品のトーンや背景に合わせるためにそのゲストたちのクリエイティブな面が抑えられる場合も以外と多い。幸いな事に。アニマスでは決してそう言う事にはならなかった。アイマスはこれまでも、そしてこれからもずっとあらゆる方向へと進んでいくのが当たり前だからこそ、アニマスがゲストにとって気兼ねなく自分の想像力を発揮できる理想的なキャンバスとなった。特に山内重保や横山彰利のような、一見で分かるような個性的な演出の仕方をする方は、それぞれの担当された回ではそのスタイルが惜しみなく取り入れていました。山内氏の場合、殺人ミステリーをテーマにした回ではクローズアップ、色がミュートされた色彩と不吉なフレーミングがぴったりと合っていて、横山氏の回では型破りな角度や歪んだレイアウトで視聴者を魅了しながら、律子のステージへの一時期な復帰に対する不安もちゃんと表現されているという圧巻の技。
ガイナックスの仲間たちと離れたとは言え、錦織氏とその人たちとの縁がそれで絶たれたというわけでは無い。むしろ前より固くなって、アニマスの制作もその影響を受けた。またまた例を挙げると、ガイナックス所属ではなかったが、ガイナックスの作品の多くに関わっていた木村隆一は軽快でありながら誠実な回をいくつか担当した後、『アイカツ!』の監督としてその経験を活かした。一方、雨宮哲は所々に参加していて上に、15話に出てくる『無尽合体キサラギ』のPVを今石洋之の絵コンテの元で演出と一人原画を担当し、ファンからの大反響でアイマスの今後のアニメ化にもこういうネタ的なPVが恒例となるようになりました。そのわずか2週間後、17話でTRIGGERのデビューが見事に果たされ、しかも錦織氏の担当である菊池真を中心とした回という、とても微笑ましい展開が繰り広げられた。最後に、業界では誰もが知っているであろう吉成曜も衝動を抑えきれず、後半のオープニングと最終話にひっそりと参加していました。この人たちの絆がいかにも固いのを証明するかのように、公式の応援イラストでも今石氏、雨宮氏と吉成氏の3人の絵が投稿されていました。
関わったスタッフについて色々語らせていただきましたが、これだけを言わせて下さい。アニマスの本当の強みはそこ「だけ」ではない。どれほどの技術や才能を持っている人たちを集めた所で、その作品にちゃんとしたコア、あるいは魂が無ければ、その人たちの本当の実力を発揮出来ない事は以外とある。アニマスは単に当時のファンを満足させる為に作られる可能性もあったが、錦織氏はシリーズの良いところをちゃんと伝えることの重要性を理解していただけではなく、自分の思い描いてたアイマスを優先してでも新たな可能性を開ける義務もあったと感じていた。もちろん、そもそも昔のファンを魅了した出来事も忘れずに。
それを踏まえた上で、「プロデューサー」という概念に一旦戻りましょう。765プロというのは、本当の意味で対等な存在であり、一人でも欠けていれば成り立たない家族。その絆、団結があったからこそファンからあさこまで愛されるようになり、そしてアニマスではその家族に新しいメンバーを加えようとした。プロデューサー(通称「バネP」)は765プロの悩みを丸ごと解決する立場ではなく、彼女たちと一緒に成長しながらも、彼女たちより目立つ事は一切なかった。物語が外の世界へと移る度に、両方がお互いにどう影響しあっているのが明白になり、やはり彼も正真正銘の765プロの一員と納得しざるを得なかった。9年後、これを書いている今でも、バネPのいない765プロはもう想像できない。
ここまでは全肯定のように記事を書き上げてきましたが、もちろん「完璧」な作品や人間など存在しない。その点に関しては、錦織氏の情熱はいわゆる諸刃の剣にはなっていた。何かを好きであればあるほど、他の人にもそうしてもらいたいと思うようになる。その現実と、初めて監督の座についたことが重なって、制作自体に影響が出た。監督と高い理想は他のスタッフに余計なプレッシャーを与え、特にキャストの出番は平等でなければならない、という現場の決まりはもう少し経験があれば軽減されたかもしれません。幸いな事に、制作スケジュールには少しの余裕があり、優秀なスタッフも揃ったおかげで、その影響は壊滅な展開までには至らなかった。
アニマスが終わった後の監督を努めた作品から見ると、錦織氏はガイナックスの環境の産物と言ってもいいだろう。こういう言い方で失礼しますが、顔面に蹴りをいれるような演出スタイルであって、でもそれ自体がマイナスではない。むしろ感情が高ぶるシーンやライブ演出に凄く適していたが、彼曰く、細かい部分を無視して、自分の意図を汲み取る為に他の人に丸投げするタイプであることを公言しています。そのようなやり方では、隙を埋めてくれる人がいないと大変な事になりかねる、その一つとして、961プロの立ち位置の問題がよく出て来ます。後半の最初の大きな山場で重要な役割を果たすが、黒井社長の悪役としての描写には何か物足りない感じがします。また錦織氏曰く、黒井社長に時間を割くのを避けたくて、その分765プロに集中したいと言っていました。
それよりも大きな問題としましては、元々日常風景を描くのが苦手な監督からアニマスでは765プロの日常を描くのが必須条件、というとんでもない決まりごとがいました。そしてそれにも関わらず、その目標が見事に達成られた。
では、錦織氏はどうやって己の苦手な所を克服したのでしょうか?答えは単純に「そもそも克服しなかった」です。むしろ、高雄統子という最強の味方を見つけた時点ではその必要は元々居なかった。 「相反する人たちはお互いを引き寄せる」という言葉はありますが、これは正に錦織氏と高雄氏の関係を表わしていると思います。アニマスの情熱的な心が前者だったのなら、その静かなる魂は間違いなく後者でした。シリーズ演出を任された高雄氏がアニマスの完成度に及ぼした影響は人が思ってるより遥か以上でした。「シリーズ演出」という言葉に聞き覚えのある人たちはおそらく『響け!ユーフォニアム』や『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』など、京アニ関連の作品を連想しているだと思います。もちろんそれ以前にも存在していたクレジットではあるのですが、山田尚子のような業界のアイドルやその弟子である藤田春香と結び付けられた事でより多くの人たちが認識するようになった。
理論上、高雄氏は副監督みたいな立場になっていたと思うのは妥当かもしれませんが、実際の所、錦織氏と一緒に監督の座に座っていたていたと言った方が正確でしょう。京アニ出身である為、錦織氏の苦手な所を補えるには最適な人材で、キャストの日常のやりとりをより繊細に、違和感なくに描いてくれた。それだけではなく、特に重要な場面に関しては二人ともが何度も話し合いを重ねてからその方向を決めていた。それだけで錦織氏がどれほど高雄氏を信頼していたのかが既に明らかになっていますが、もう一歩踏み込んで、後半の2つの山場は監督の錦織氏が直接に担当されるのではなく、全面的に高雄氏にその役割を託した。錦織氏が目的地を決めて物資を集めたのなら、高雄氏は終着点をより快適に至るまでの地図を書き上げた、という表現が伝わるのかどうかは知らないですが、少なくとも自分にとってはそういう感じがします。
現在ではアニマスの成功とその理由の両方を理解するのは簡単だと思います。既存ファンのためだけの為に作られたわけでは無く、むしろスタッフさんの情熱の頑張りで新しいファンを沢山取り込んだ事でシリーズ再活性化にも繋げたと言っても過言ではない。シリーズを担当している偉い方々も恐らくそれを分かっていたと思います。何故なら『シャイニーフェスタ』と一緒にリリースされた特別編ではそのスタッフさんがまた集まって、その上にゲームの為に「アイマスらしさ」を完璧に表現した4つのMVも一緒に収録されていた、錦織氏が最初に提案してくれたアイデアがここで実現する事には正直ぐっとくるものもある、余談ですが、はい。シャイニーフェスターは3本とも買いました。
この時点ではチームアイマスはもう765プロと同じみたいに、アニメを作り上げている家族のような存在になっていた。そして自分たちを越えようとするかのように、映画版の『輝きの向こう側へ!』と『シンデレラガールズ』や『SideM』のアニメ化にも取り掛かりました。それが達成されたかどうかはあくまでも個人個人の意見ですが、アニマスの精神は、大きな要望によってチームが少しずつ離れるようなったにも関わらず、しっかりと受け継がられていた。
記事を締めくくるにあたり、テレビでアイマスの現状について触れておきたいと思います。3年ほど前、「なぜミリオンライブは未だにアニメ化される気配はない」という記事を書かせていただきました。簡潔に説明すると、『Darling in the FRANXX』にチームアイマスの殆どのメンバーが集まっていた為、別のスタッフを使わない限りミリオンライブのアニメを作る余裕が無かった。そしてそれが終わったすぐ後にまたそのメンバーが『Fate/Grand Order 絶対魔獣戦線』で重要な役割を担うおかげでその現状が続いた。しかし、当時で一番予想できなかったのは、このメンバーなしでアイマスの各部署のメインとなるアニメ化が続く事でした。
今月のミリオンライブのアニメ化発表で驚いた人は沢山いたはず。発表自体だけではなく、白組によって完全3DCG制作とという事実にも。しかし、この展開が来る前に予兆は見えていた。特に昨年は、スタジオオレンジで吉邉尚希が監督を務めた『アイドルマスター シンデレラガールズ Spin-off!』はアニマス以来、初めて大型プロジェクトがA-1以外のスタジオで制作された。もちろん『プチマス』、『シンデレラガールズ劇場』や『理由あってMini!』の存在を忘れているわけではないですが、それらは元々キャロリーの低いプロジェクトとして企画されてたし、サンジゲンでの「カレーめし」クロスプロモーションには大人の事情がありすぎてノーカンとします。一方、Spin-off!はそういった感じがしなくて、表面的から見ると単純にシンデレラガールズの8周年と新曲のの宣伝をする為に作られていたのですが、実はもう一つの理由もありました。「この先、チームアイマス無しでもアニメでアイマスの魅力と精神を伝えられるのでしょうか?」という試しにもなりました。結果から判断すると、満場一致でその答えは「イエス」になったと言ってもいいでしょう。
あくまでアイマスとチームアイマスに物凄い思い入れのあるファンの意見から言わせてみると、これは理想的な展開ではないと思っています。しかし、発表の後にすぐ広まり始めた陰鬱にも賛成するつもりもない。どちらかというと、この記事は元々未来に希望を持っても良いと読者に教えるが為に書きたいと思いました。この数年では、制作の現実と商売の関係で色々ありましたが、アニマスから生まれた精神は今でもしっかりと受け継がれており、特に765プロと直接な繋がりを持つミリオンライブなら、それを尊重する努力をしてくれると信じています。そしてさりにこの先に待っているであろう『シャイニーカラーズ』のアニメ化も、ずば抜けた美術的なセンスとゲームの時点では下手なアニメよりずっと演出を意識している為、そういうのをよく考えてから取り掛からないとそもそも意味が無い。
もちろん最悪の事態も起こりうるですが、今のところはポジティブに考えてもいいでしょう。
だって、アイマスは最高だから。
Support us on Patreon to help us reach our new goal to sustain the animation archive at Sakugabooru, SakugaSakuga (作画): Technically drawing pictures but more specifically animation. Western fans have long since appropriated the word to refer to instances of particularly good animation, in the same way that a subset of Japanese fans do. Pretty integral to our sites' brand. Video on Youtube, as well as this SakugaSakuga (作画): Technically drawing pictures but more specifically animation. Western fans have long since appropriated the word to refer to instances of particularly good animation, in the same way that a subset of Japanese fans do. Pretty integral to our sites' brand. Blog. Thanks to everyone who’s helped out so far!