学園アイドルマスターの描写理念について

学園アイドルマスターの描写理念について

今の時代において学園アイドルマスターの立ち位置とその描写理念について、少しの間だけ語らせて下さい。

アイドルマスターシリーズが来年20周年を迎えようとしている中、長年関わってたスタッフの退任や既存ブランドに対する扱いなど、自分も含めてここ一年(特に昨年のM@STERS OF IDOL WORLD 2023が終わってすぐから)に掛けて色々不安を感じる人も多かったと思います。そんな中、『学園アイドルマスター』(通称「学マス」)の発表で素直に喜ぶのが出来ず、むしろ余計に不安を抱える気持ちでした。新しいブランドの立ち上げはシリーズの将来を見据えた決断というよりは、現状に対して応急処置的なものの感じがしたから。そういう風に考えてましたが、リリースが近づくにつれ、今までにないビジュアル的な描写や表現が明らかになってきた事でむしろ「シリーズにおいて新鮮で新しい挑戦になるんじゃない?」と少しずつ考えが変わるようになった。

もちろんゲーム内のグラフィックもかなり凄い事にはなっているが、個人的に一番興味深い要素はアイドル個別のために用意されたミュージックビデオ。アイマスにおいてMV自体は特別に新しい試みというわけではないが(黛冬優子の『SOS』が人気VTuberの間にかなり流行った理由はそのためでもあったし)、他ブランドとは違って学マスは今までのアイマスのやり方というか、描写理念から離れようとしている気配があるおかげで目が離せなくなっている。

さすがに「アイマスの描写理念ってなんなんだ?」と思う人もいるかもしれませんが、正直言って自分もそこまでうまく言葉に出来ない。ただ、色んなブランドがあって関わってるクリエーターがいても、どこが懐かしい気持ちにさせてくれるアイマスらしさは確かにある。ファンとしてはその「らしさ」は今までのアイマスにとって最大の武器ではあったが、今の時代ではむしろそれが最大の障害に変わってきたとも言える。昔は2011年の『アニマス』の放送や2015年の『デレステ』のリリース、2019年の黛冬優子の実装などの影響でそれぞれの世代から新規のプロデューサーを引き込む事に成功したが、それ以降そういう決定的なイベントがあった印象はあまりない。むしろこの一年で放送された複数のアニメ化もなんだかんだ言って既存プロデューサーの方しか観ていない気もする。

上記のようなイベントが成立するには様々な要因もあると思いますが、それらで共通している一番肝心なのは間違いなくタイミング。そのアイマスらしさは昔、既存プロデューサーだけではなくその時代のオタク文化自体との相性は抜群だったから。ほぼ20年続いてるコンテンツにはもう価値がないはずがないが、今の若い世代にとってはそれはそもそも自分たちとは関係ない、どうでもいいこと。「おっさんの説教タイム始まったwww」みたいな雰囲気にはなってきましたが、その考え方を特に否定するつもりはない。むしろ時代と流行りの変化は避けられない事ですし、その間に世間のメディアへの関わり方に劇的な影響を与えたコロナ禍の後だと尚更の事。

その中で学マスが見出した答えのひとつはおしゃれなインディーズのアニメーション。常に勢いが増していく一方で、今の人気アーティスト(特にadoのような)は自分のMVでこういう表現や描写を好んでいるし、その人気の後押しになっているのはMV制作に携わっているのはファンの方々と同世代のクリエーターが多いこと。単純に流行りを追っているだけなら大して面白くはないが、根本から理解した上でやっているから余計に学マスから目が離せない。

ここまで来ると偶然そうなったとかはもうありえない。ちゃんとした知識を持っている人が関わっているはず。そしてクレジットに目を通したら電音部の統括プロデューサーの子川拓哉がMVプロデューサーとしてクレジットされています。なるほど、これはもう納得せざるを得ない。電音部では人気急上昇中のミカ・ピカゾにキャラクターデザイン、作曲は現代を代表するアーティストにお任せしただけではなく、一足先にVTuberの圧倒的な人気に乗ってキャラクターの声優としてにじさんじのライバーを取り入れた実績のある作品だから、関わってるMVもこうなるのもおかしくない。それを踏まえた上で、今の流行りを作り出したクリエーターと連携を取る判断のおかげで学マスの今のやり方がただの真似事ではなく、ちゃんと鮮明かつ意図的なイメージを持っていることが証明された。これに伴って微笑ましい話もいくつはあるが、個人的には麻央のMVの公開後に監督を担当した方がすぐに子川氏に感謝の電話を入れたのがお気に入り。

この流行りにおいてもう一つ大事な要素は見やすさ。クオリティーの高いMVを無料で見れるのが当たり前になった今、いつもみたいにアイマスチャンネルにアップすると他の動画で埋もれるだけの運命だった。なので、全アイドル分のMVの予約投稿を済ませた上で学マス専用のYoutubeチャンネルを設立したのは大正解としか言えない。もっと厳しく言うと、低クオリティのMVを課金の特典として扱ってゲーム内でしか見れないようにしたシャイニーカラーズのマイコレの時みたいな繰り返しにならなくてかなりホッとした。

そこまで言うともうアイマスの本質から離れていると思われるかもしれないが、ここで断言させて下さい。それはない。はたから見ると素晴らしい出来にはなっているが、紹介PVでちらっと見れるアイドルの個性・心情やこれからの物語に寄り添ってるからこそが今回のMVの一番の魅力。たとえば花海咲季の場合、最初の映像が出た時点でこの子はどこからどう見ても今までのやさしくて、思いやりがあって、たまにちょっとおバカさんな赤信号機とは違うタイプ(これもこれで今の世代の価値観に合わせた決断とも言えるし)でるのが明らかだったが、Fighting My Wayの映像だけでその競争心というか、常に戦闘モードに入っているスタンスが分かりやすく描かれている。入学試験首席で超負けず嫌いだったらこれぐらいのオーラがあってもおかしくはない。

もう少し繊細な描写が好みの人にとってはやはり有村麻央の『Fluorite』と篠澤広の『光景』に見どころが多いはず。制作にはPie in the sky所属の植草航(前者)とつづつ(後者)が監督として携わっていて、そのおかげもあって彼女たちの内面がしっかりと描かれている。『Fluorite』の場合、麻央自身のイメージがテーマとなって、具体的に言うとキャラ作りのせいで周りから「かっこいい王子様」として認識されていること。それは夢のために必要だと判断はしたが、ありのままの自分を封印し続けたことで集中力とアイドルの仕事への影響も出るようになったという、かなり人間味のある悩み。でも悩みというのは案外簡単な答えがあるケースが多いため、最終的に麻央がたどり着いたのは「両方を大事にすれば良い」だった。かっこいいであるからこそ可愛い、可愛いであるからこそかっこいい。うん、良いと思う。制作の話に戻ると、今の時代でぼっち・ざ・ろっく!を知らない人はないと思いますが、そのエンディングを手掛けたスズキハルカこちらのMVに参加していることでやはり今の流行りは学マスの支えにはなっているのを再確認出来る。

『光景』は悩みというより、広が「アイドルになる」という選択肢にたどり着くまでの道が描かれている。湯浅政明の『カイバ』を思い出させるような丸くて柔らかい感じのキャラデザと松本理恵の『京騒戯画』の世界観に似ている雰囲気な夢のような光景を彷徨う天才。周りには無限の可能性が広がりフジシマケイ酒井浩史によって描かれた変形作画でその物語の描写にもなっている。実際なんでもなれる彼女が、その無限の可能性の中で「アイドル」に出会うことでもうほかの選択肢はないほど心が惹かれて、最終的に現在に至る

ここで完全に個人的な話にはなるが、やはり自分の中で一番響いたのは月村手毬の『Luna say maybe』です。このMVだけはなんか情報量が多いというコメントをいくつも見かけましたが、むしろ手毬の心情を考えるとそうなるのは当たり前だし、監督の萩森じあ他の作品を見るとそもそも意図的にそう作られているとも言える。命がけで必死に歌っている感じはアイマスの青信号機にしては珍しく、そのおかげもあって手毬の中の色んな感情がはっきりと見えてくる。その感情と言葉にフィルターを掛ける性格のせいで伝えたいことがいつも伝わらないのも全体的のモチーフであり、曲の終わりの方でその成長もしっかりと描かれている。自分のフィルターを捨てることによって句点で終わった最初の「あのね」は、最後のフレーズで読点が付く。それはつまり歌詞の通り、「君にまだ話せてないことばっかりあるんだ、聴いて欲しいの」と言う思いの表し方。まあ、あれですよ。こうして自分は手毬Pになったってこと

昔からアイドルの個人的な事情だけではなく、周りの人たちや外の世界に対しての描写がアイマスの強さの一つだったので、こういうMVを通してそれを掘り下げてるのは現時点で学マスの一番面白いポイント。シナリオ自体がそれをちゃんと拾ってくれるかどうかはやるまではわからないが、少なくとも今はかなり期待値が高い。今後も新曲に合わせて新しいのを作ってくれたらかなり嬉しいかも。

MVメインの話で進めて来ましたが、それ以外の面白ポイントといえば先日発表された『ランウェイで笑って』で有名な猪ノ谷言葉先生によっての漫画化。ミリオンライブの諏訪彩花さんと結婚してる人がこんな形でアイマスに関わってくるのはさすがに微笑ましいが、ここまで有名な漫画家さんに任されてるということは流行りに便乗するスタンスはやはりただの気のせいではないし、絵柄的にも以前話したアイマスっぽさを良い意味で全く感じない。藤田ことね単体の話にしているのはかなり興味深いし、似たような形で他のアイドルの話も描かれる可能性を考えると楽しみでしょうがない。

ここまで言わせて貰いましたが、「流行に乗ったらとりまオッケー!」みたいな考え方は決してよくないと思っている。今の自分の学マスへの期待はその流行りを参考しながらシリーズを進化しようとしてるアプローチのおかげ。もちろんこの先どうなるかは断言出来ないし、もしかしたら思った方向には転ばない可能性だってあるが、とりあえずはちゃんと上手く行くのを願いたい。自分の人生はこれからもアイマスですよ、アイマスでずっといて欲しいから。

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